最近よく雑誌などで、「自分探しの旅」といった特集が組まれている雑誌を見かけます。

中身を見ると、日本国内の有名旅館の紹介と、地域特産品の紹介が中心になっています。

雑誌は当然、広告収入を得る必要があるので、タイアップ記事を入れながら、紹介する旅館の広告を得るため、素敵な文章を用意するのです。

では、そんな有名旅館に泊まったからといって、自分探しができるのでしょうか?


「ゼロ」とは言わないが、簡単に「自分とは?」といった答えが見つかる訳がないと考えます。

そもそも「自分探し」とは一体どういったものなのでしょう?


旅館にれば、確かに非日常体験ができるので、気づきや感動を受けるかもしれないし、ゆっくり温泉にでも浸かれば、ココロが落ち着き、日頃の疲れも取れることでしょう。

ストレス発散できることで、元気も出るかもしれない。旅館に泊まり、パワースポットをめぐり、地元で有名の隠れ家的なレストランで食事をしてもそんな程度だと感じます。


私の勝手な意見で恐縮だが、「自分探し」とは社会的立場をすべて無くし、人のしがらみや、つながりを絶って初めて見えてくるものだと考えます。

かつて私は約1ヶ月の間、友人・知人はもとより、家族に連絡をまったく取らない時期がありました。

仕事での失敗から全てを投げ出して逃げ経験があります。いわゆる「失踪」。


人の目が怖い・・・ただ逃げたい・・・

心臓は一日中脈打ち、目は充血して、自分でも何をしでかすかわからない状態。

朝家を出て何も考えず、電車に乗り、降りなければいけない駅で降りることができず、そのまま終点まで行き、さらに電車を乗り継ぎさらに終点までいく。

この話は平成になる前の話で、いい思い出とは決して言えないが、自分にとっては人生の中で最も大きな出来事であり、今でも鮮明に覚えています。

名刺の肩書や名前を捨て、ひたすら北へ北へと進んでいった。

詳細を書くつもりはないが、家族や友人には本当に迷惑をかけた事だけは今でも申し訳ないと感じています。

生きることに絶望を覚え、降り立った街をふらふらとあるく日々が続いたが、それでも、自らの人生に幕を下ろす勇気がないまま、時間だけが過ぎていった。

日が経つと自分と会話をする時間が増えてきたと同時に、ご飯を食べるために立ち寄ったお店の店主やお客さんと話をするようになったのです。

私の事は誰もしらない、生い立ち・思考・今起こっている事も全部・・・

何のために生まれてきたのか?
自分の役割は何か?

自分のことを考えるようになると、不思議なもので、周りのことも考えるようになってくるのです。

この人は何を考えているの?
イヤな事や嫌いな事はあるの?
悩みはあるの?

もちろん答えはないのです。

それまでの私は、わかりもしない周りの事や、自分を良く見せたいことばかりを考え、自分を見失い何もかもが見えなくなってしまっていたのです。そして膨らんだ風船が「パンッ」と音をたてて割れたのです。


自分を見つめ対話するうちに、弱さや、何もできない自分を認めることができ、家に帰る決心つけたのです。家に帰ってからは、たくさんの方からお叱りを受けた事はもちろん。会社にも損害や迷惑をかけ、後処理を数ヶ月かけたのです。

会社を辞め、ひと段落してからは、自分の歩幅で歩いていいことに気づき、もちろん迷うことや悩むことがいくつもあるが、自分との会話をすることで、自分なりの「生きる」といった考えがまとまるようになったと感じます。

「自分探し」に終わりはないが、納得した日々を送ることで又一歩近づいている感じがします。。

もし、何かにつまづき、悩み、どうしたらよいのかわからない時は、メールでもください。

求める答えは導き出せないかもしれないが、少しでも気が楽になるかもしれません。




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